柱と振り返りの関係について

昨日、「柱と振り返りの関係」について、私の中でスッキリしたので、
ここに整理しておきたいと思います。


長くなりそうなので、最初に結論をお伝えしておきます。
多分、「んなこと知っとるわい!」ということです。

 
『自分が大事にする大きな柱(目的)があると、
そこを基点にして振り返ることができる。
また、柱がないのに、振り返ることは無意味である。』

 
ということが言いたいのでありました。
以上。
ほんとに、以上。笑

で、ここから先は、なぜそう思ったのか。などについて触れます。

この考え方は、古くから言われているし、
学習する組織(もちろん学習する学校も)の考え方でも触れられています。
だから、目新しいことじゃあない。

でも、それぞれそれが「出来ているか?」と自分自身を顧みた時に、
できていない場合は多いんじゃないかと思います。

えーっと、決して上から目線で言いたいわけじゃないです。
私も出来てないことばっかりなんで。

 
例えば、学校の先生方は多忙で、それ故、
先生同士で年度初めに「この1年どんな学校づくりをするか」という
大事な話さえもゆっくりする時間がとれない。
という話はよく聞きます。
多忙多忙で、目の前のことに日々追われ、疲弊していく。
授業研究したいけれど、それさえもできないくらい、
提出しなければならない書類に追われている。
放課後や休日の部活動で休みがない。
多忙多忙多忙!

これ、根本的に解決していく必要があると思うし、
少しずつではあるけれども、多忙化解消、なんて言葉も出つつありますよね。

 
でも、そもそも、私たち、「何のために」働いているんでしょう。
それって、確かに、所属している組織全体で考えて決めていければ一番いいと思う。
公立学校で言えば、学校それぞれの学校目標があるけれど、
その前に「教育の目的」を「確認」していく必要が有るんだと思う。

もちろん、教育基本法で定めされていることがあって、
第一条に「教育の目的」、第二条に「教育の目的」が書かれてるよね。

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H18/H18HO120.html

でも、教育基本法が決められた経緯や意図を共有する、っていうのは
なかなか難しいところもあるだろうから、
各学校それぞれで、何のために、を各学校の学校目標をつくることで
「確認」しているはず。そういう意図があるはず。


会社の場合は、目的、を法律では定められてはいないから、
自分たちでつくる必要があって、
だからこそ、「確認」作業がその時に行なわれる。

もちろん、トップが一人で決めちゃうことだってあるけれど、
その決めた経緯や意図が共有されることが「確認」作業になる。

 
でも。
それらと同時に、「私は何のために。」をきちんと考えることが
すごくすごく大事になります。
だって、私たちは、個であって、組織や団体は、個の集まりででしかないから。

とは言え、法律や企業理念などを「確認」する作業中に、
必ず「私は」が出て来るはずで、
「私は」がはっきりとして初めて、全ての仕事の意義が生まれてくるし、
何をするべきなのか、が見えてくる。本当は。

 
でも、私たちは、既に「するべきこと」をなぜか手にしてしまってる。
「私は」がなくても、考えて答えを出さなくても、
「するべきこと(と思い込んでいるもの)」を手にしていることがある。

だから、なんだか分からない違和感を抱えたまま、
目の前にある「するべきだ(と思い込んでいる)こと」をしてしまう。
もしかしたら、違和感も持たない可能性だってある。

それは、ある意味、真面目でもあり、ある意味、考え無し、でもある。
 
「私は」が見つかる事は、「納得感」を得られることでもあると思っていて、
それが生まれると、「誰かのせい」にする必要がなくなってくる。

うまくいってないのであれば、「誰か」が悪いのではなくて、
「仕組み」が悪いんだと気がつくことができて、
それを変えていくことができる。

 
つまり、
「誰か」が悪い、と思っている人は、「私は」を見つけることが出来ていない。
ってことになる。

 
じゃあ、どうしたら「私は」を見つけることができるのか。
それは、

,劼箸蠅燃悗咫⊆孫圓掘考えを整理して、
他人とその考えについて共有し、共に学び、実行し、対話し、

っていう,鉢△魴り返しながら、

6譴靴ても答えが出るまで考える 

ということしか方法は無い。って思う。
 
大事なのは、
「個」で学び考え実行することと、
「誰かと共に」考え実行し話すこと、を繰り返すこと。

 
そう、子ども達の学びの流れと同じように、
大人も「私は」を見つける作業を
個と協同とを繰り返しながら行なう必要がある。

 
必要がある、ってあえて書いているけれど、
だってね?、それがあると、全ての自分の行動を、
「そこに繋がっているか」確認することができるようになって、
楽になるんだよね。

目の前の仕事が、重要なことなのか、そうでもないことなのか、
ってことが見えてくるし、

もし、あなたが考えた「私は」が守られない!!と感じたとしたら、
それは、「私は」を考え直す必要があるってことなんだと思う。
本当に考え抜いた「私は」ではないのかもしれない。

 
「私は」って柱は、揺るがないものであって、守られるべきもの。
つまり、それが、「人権」とか「権利」って言われるものだと思うんだけど、

「誰かに嫌われるから」とか「上司に歯向かったらクビになるから」とか、
そういうことで揺らぐようなものではない。ってこと。


あと、「自分以外の誰かを不幸にしてでも守られること」というものを、
「私は」に置いてしまうと哀しい結末が巡ってくると思う。

 
うーん。揺るがないものだ、って書くと、
すっごく頑固に、とか、強い意志を持てる人だけができること、
って感じがしてしまうかもしれない。


でも、そうじゃないんだよね。
柱は柱で建っていて、自分の行動や言動が、その柱に向かっているか??
と考えた時に
「あちゃ!向かってない!間違えちゃった!」ってことは、
本当に多々あるわけです。

それこそが、「振り返り」をする意味であって、
だからこそ、「私は」っていう柱が無いと、
「いけね!間違えちゃった!」ってことさえにも気がつけない。
っていうことなんだと思う。

 
その方が、答えを出す苦しみより、ずーーーーっと怖い。私は。
 
だから、柱は建てたら間違っちゃいけない、ってことはないし、
行動を間違えちゃってもやり直せばいいし、間違えるもんだ。って
思っていたらいいんだと思う。

だってさー、人間だもの。
んな完璧に間違えずにできたら、戦争なんて起こらないし、飢餓だって無くなる。

 
だからこそ、「私は」の柱は、
ひとりだけで答えを出すものではなくて、
誰かと共に考えながら見つけることが大事になるんだと思う。
私たちは、社会で暮らしていて、
共に幸せでありたいと思っている(はずだ)からこそ。

 
ちなみに、この、「ひどく当たり前の話」が自分の中で整理できたのも、
友達と実践を繰り返しながら深く思考のやり取りができたからです。
私にとっての「当たり前な言葉」を、「私の言葉」にすることができました。

 
で、同時に、私が今やりたいことは、
この「私は」を見つけ出すための作業をお手伝いしたいぞ。
ということなんだな、ってことも整理ができた。

特に、学校で働く人達と一緒に。
 
それこそが、私の「私は」に繋がる。って心から思ってます。

 


 

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