第1回振り返り書簡ライブ


昨日、初めての試みとして、
Skypeでの振り返りを、
Facebookのライブ映像で共有しました。



メンバーは、中学校の先生2人と私の3人。
おしゃべり形式での振り返りです。

このメンバーでは、既に1年以上、
月に1回か2回のペースで実施してきたので、
振り返りそのものはいつもの感じで行えました。

ライブでやり取りが流れているとしても、
あまり視聴者とインタラクティブなやり取りはなかったので、
ほんとにただ「見られてるだけ」という感じだったわけですが、
「公開したらどんなことが起きるかな?」
という興味本位もあり、テスト的にやってみた割には、
「結構面白いのかも。」
というのが今のところの感想です。

まだ、1回しか実施してないので、
正直考えが整理しきれていないのですが、
1回やってみて見えたことは、

視聴者はかなり自分事と繋げながら見ることができる。

ということでした。

これから先、どの程度続けるかはまだ不明ですが、
まずは、
「他者の振り返りを見聞きするだけでも、自己の振り返りに繋がる」
ということはこのやり方で体験できると思います。

意外に良いのは、ライブ放送なだけなので、
横から自分の意見を言ったり質問したりはできないことで、
他者の話を聞きながら自分のことに回帰しやすい。
ということです。
(ちなみに、コメント機能は使い過ぎると邪魔になる気がします。使い方次第。)

ただ、まだ思考として足りていないこととしては、

振り返りを公開している側の、公開するメリット

です。

今回はあまりプラスもマイナスもなかった気がしますが、
公開することで本音が言えなくなるということは容易に想像できるし、
「誰に見られているか」
ということや
「何人くらいに見られているか」
などもかなり関係すると思うので、
もう少し様子を見ていきたいと思います。

とりあえずは、
新しい取り組みはやっぱり頭が動く感覚があって楽しい!
です。


「美しい」と感じた子どもの姿


「美しい」と感じるものとの出会いって、
芸術的なものや自然なものに多い気がするのだけれど
久しぶりに、事象に対して感じたので残しておきます。


現在、弊社では
海老名に一昨年出来たコサイエという学童保育の方々と、
来年度から通う子どもが一気に増えるということから、
もう一度、理念の確認から始めて、体制を整えていきましょう。
ということを一緒に考えさせて頂いています。

来年度の新1年生にも居心地良く過ごしてもらうためにも、
今のうちに、大人も子どもも、ある程度準備しよう、というわけです。


で、少しずつ新たな取り組みを始めているのですが、その1つとして、

「学ぶ時間」に何をするか、自分で選択する。

という過程を取り入れたところ、
子どもたちの様子が、ほんの少し変化した。
という話を先日スタッフから聞くことができました。

この「学ぶ時間」は、主に
「宿題をする時間」という位置づけだったのですが、

そもそも絶対宿題はしなきゃいけないのか?

というところから始まり、
宿題をしたい子と、したくない子と、しなくても良い子と、違うことをしたい子とがいて、
それぞれが共存し合える場をつくるには
どうしたらいいのか。
ということで、
「何をしたらいいかわからない子」も含めて
「自分で選択して、選択したことはする。」
という時間にしよう。

ということになったわけです。

これも、
「(幸せな)未来のツクリテを育てる」
という理念をどうしたら体現できるか、
からグツグツと考えたことの1つであり、
「やり方」がうまくいかなければまた変えていけばよい。
というスタンスでもあります。

で、以下のようなホワイトボードに名前が書かれたマグネットを置いて
「学ぶ時間」に何をするか選択してもらうようになったところ、



「いつも部屋に入らず何もしなかった子が活動するようになった」
とか
「場所は違うところを選択しても、やることは自分で選択してやってる」
とか
そんなことが「大人にも」見えてきたようでした。

私も、実際に
子どもたちがホワイトボードの前で、
何をしようかと考えてマグネットを自分で動かしている、ほんの数秒の姿を見て、
それがとても「美しい姿」に思えたのでした。

あぁ、動画で残せば良かった。笑


人は、誰でも、自分のことは自分で決めたいし、
その決めたことが不安ならば誰かに相談したいもの。

スタッフのひとりが

「自分で決められる子はひとりでどんどんやるから、
決められなくてホワイトボードの前で立ち尽くす子にだけ私たちはサポートしたらいいんだ、って思えました。」

と言っているのを聞いて、涙が出そうでした。

そう思うと、子ども達が自分で選択している姿は「自然」なことだったから、
美しいと感じたのかもしれないです。

これから、少しずつ変化して、
もっともっと理念を意識しながら環境をつくっていける場になる予定なので、
私もすごく楽しみにしています。


投稿するけど投稿無し

 

あまりにくたくたで

(たくさん話して、話を聞いて)

頭が整理できない。

 

ので、今日は、ブログはお休み。

 

このブログを毎日書くぞは実験なので、

メモとして、「書けない」ということも残しておきます。

 

ふひー

 


4日間しゃべり倒して考えたこと




土曜日から4日間、自宅にお客さんが泊まっていました。
(写真は昨日の朝食。笑)

今朝帰られたのですが、
いやぁ…しゃべりまくりの4日間になりました。笑

で、考えたことは、
やっぱりリフレクションの方法は
いくつかあるけれども、
「組み合わせると良い」ということと、
その時は気がつかなくても、
日々私たちは自然とリフレクションをしてはいるものの、
それを「意識」しているかどうかで
リフレクションの深さが変化していく。

ということでした。


なぜそう思ったかというと、
4日間、ほぼずっと他者と共に過ごし、
さっき起きたことや10年以上前のことなどをおしゃべりすることで
自然と過去の自分を振り返っていたからです。

と、同時に、
ずっと誰かと話していると、
「ひとりで考えて整理する」
という時間が足りなくなって、
かなり情報が頭の中に溢れかえる感覚にもなります。

なので、
常にリフレクションそのものを意識して暮らしていると、
「その時自分に必要な振り返りの方法」を
選択できるようになる。

そんな風に思います。


それは、そんなに難しいことではなくて、
「いやぁ。しゃべりまくって頭がいっぱいだなぁ。」
「少しひとりで考えを整理したいな」
などという、自身の声に耳を傾けて、
慌てないことなのかな、って。

だからこそ、
色々な「リフレクションの方法」を
体験して上手になる必要はあるんだろうね。

ということで、本日もおつかれさまでした!

今日もよく働いたーー。ふひー


こういう日もある

今日は、ブログを書ける時間も、
リフレクションして整理できたことも、
ほとんどないまま、23時を過ぎて帰宅。

おやすみなさい。

対談の進行役の役割について


昨日は、
「リヒテルズ直子氏×苫野一徳氏とイチから考える公教育」
というイベントを
日本イエナプラン教育協会主催でおこなってきました
(私は協会の理事でもあります。)

今回の私の役割は、対談や会全体の司会進行役。

「公教育をイチから考えよう」という本でお二人の著書が基本となり、
お二人が本で伝えたかったことが基盤となる予定だったので、
打ち合わせはあえてあまり多くしすぎることなく
(あまり事前に話してしまうと、本番で新鮮味がなくなるので)
方向性だけ確認してスタートしました。



内容については、やっぱりここで話すよりも、
まずは、本を読んでもらえればと思うのと、
報告そのものは、
日本イエナプラン教育協会のニュースレターでしっかりするので
ここでは割愛します。

で、昨日の帰り道、協会代表の久保さんとおしゃべりしながら
イベントそのものの振り返りと、
対談形式の時の、司会進行の
(モデレーターとかファシリテーターとかそんな役割にも近かったかな)
役割って結局なんなんだろう。
ということについて考えて整理できたことを残しておきます。

私個人でいうと、
最近、メインの登壇者の対談や、パネルディスカッションの
進行役を頼まれることが多くなった気がします。
(テーマは全部教育系です)

個人的には、楽しいお仕事なので嬉しいのですが、
対談とかディスカッションの進行って、
「ただ進める役」ではないんだな。
ということを実感してます。(当たり前?)

まず、
昨日のあの会場で、登壇者の話を一番真剣に、
そして必死に聴いていたのは、
私なんじゃないか、ということです。笑

彼らが話したことをガシガシメモって、
キーとなるところや、もっと掘り下げたいところに
忘れないように星マークとか付けて、
彼らの話から私自身が話したくなったこととかもメモって、
頭の中がぐるぐるしているわけです。
舞台の上で。笑

でも、私は対談のメインパーソンではないので、
問いかける役なわけで、
私が話したいことを話す場ではないのと、
何より、「聴衆が聞きたいこと」に近い問いを投げかけることができるか、
ということを求められている気がして、
そこにどう応えるのか???
ということを考えると、もっともっと頭の中がぐわんぐわんしてくるわけです。

で、私の問いとは違うことが気になっている人にとっては、
「聞いてほしいことはそういうことじゃないんだよう!!」
ってなるだろうし、
一致していれば、「そうそう!そこ聞きたかった」
ってなるだろうし。

こればっかりは、相性の部分もあると思うので、
全ての人に応えることはできないことだな、
と終わって前向きに諦めます。
(だから、質疑応答の時間って大事なんだよね)


で、今回、新たに気がついたことは、
私がしていることの大きな役割としては、
登壇者が話していることを、
少し整理して、
「こういうことを今話してましたよね」
と確認をとる、ということなんじゃないかと思ったんです。

もちろん、確認をとってから問いかけることができると、
私も安心だし、聴衆のみなさんも、
話の流れを再度確認できるからきっと安心。

だけれども、実は、
「この話は聴衆に伝わっているだろうか」と一番不安なのは、
登壇している人自身なんじゃないか、
って気がついたんです。

私が、「こういうことを今話してましたよね?」
と確認している時、
ニコニコ頷いてもららうと、
私が安心したのと同じように、
登壇者も安心したから、ニコニコ頷いているんだな。って。

今回は特に、
しゃべりだしたら止まらない二人(笑)の対談だったので、
それぞれから、「司会進行を頼みます」と言われていました。

話したいことがたくさんある人たちって、
たくさん話したいだけじゃなくて、
「伝わってほしい!」
って思うから、たくさん話しちゃうんじゃないか。

そんな風に思ったのでした。


ひとり会社なわけ





アソビジは株式会社ですが、
社員が私しかいません。

「社員は何人くらいいらっしゃるんですか?」

とよく聞かれるのですが、
その昔は、

「この人は、人数で会社の価値をはかろうとしてるのかなぁ」

とかそんな風に思う時期もありました。

でもそれは、
私自身が、社員がたくさんいる会社を運営することに
ずっと憧れがあったからなんだろうな、
と今は思います。

ちなみに、その憧れの正体はなんだろうかと考えてみると、

「社員が多い方が有能な経営者だと思われる」

というようなものではなくて、

「仲間がたくさんいて楽しそう」

という憧れの気持ちだったのでした。


じゃあ、社員を増やせばいいじゃない、
と思われるでしょうが、
それでも私はやっぱり、
社員を増やすことは無いと思います。


なぜなら、仲間はたくさんいるし、
助けて欲しい時にお願いできる人たちもいるし、
何より(これが一番の理由ですが)、

「外から関わる人」

でいられると、私は私の強みを発揮できる。
と思えるからです。

もちろん、中の人になってもできることは沢山あるけれど、
私が得意な立ち位置は、
外から見たり、外から声をかけたり、そんなところなんだと思っています。


それをはっきりと自覚したのは、
震災後立ち上げた、「プロジェクト結」の活動をしていた時でした。

仲間と共に目的に向かってガシガシ進むことの充実感を感じつつも、
「ファシリテーターとしての私」は、
あまりに当事者になり過ぎると上手にできなくなる。
と感じる場面が増えたのでした。


で、私はどの位置でいると居心地がいいのか。
ということを考えたとき、
「アソビジ」という会社では、
ひとりでいよう。
と決めることができたのです。


私は、プロジェクト結の他にも、
運営にがっつり関わる団体があと2つあります。

だからこそ、アソビジだけは、
「外から関わる存在」でいたいと
思うんだと思います。


中にいるからこそ見えなかったり、
中にいるからこそ上手にできないことを、
外の仲間として関われる。


これも、沢山の社員(仲間)のいる会社の社長さんや、
学校の管理職のみなさんと話していて
気づいたことでもあります。

いやぁ…ほんと、ありがたいです。

いつも繋がってくださり感謝します。


そろそろオニの季節

 

そろそろ、鬼の季節なので、今こそオニミチで遊んでもらいたいわけですが、

 

ただ遊んでもらうだけじゃもったいないので、

オニミチの世界観をお伝えしつつ、

今日は、鬼の絵本を紹介したいと思います。

 

 

オニミチは、

 

寝ているオニが起きないうちに、主人公が5つの宝物をとって帰ってくる

というストーリーのあるボードゲームです。

 

 

でも、もし、

オニはなぜ寝てしまっているのか、とか、

5つの宝物って実は誰のものなのか、とか

主人公はどうして5つの宝物を取りにいかなければいけないのか、とか

そんなことを考えたりしてからゲームを始めると

全然違う感覚で遊ぶことができると思います。

 

私のオニミチのイメージは、

「ももたろう」と「泣いた赤鬼」をミックスしたものです。

特に、COPORAのロゴは、オニとヤギであるところにストーリーがあります。(余談失礼。)

 

 

オニミチの物語とリンクしやすい「ももたろう」。

(写真をクリックすると、Amazonに飛びますよー)

 

 


 

 


 


 


 

 

実にいろんな「ももたろう」がありますが、

日本人ならほとんど知らない人はいない物語ですよね。

 

読み比べてみてもおもしろいかも。

 

 

 

「泣いた赤鬼」も、

 

同じ物語でいくつか絵が違うものが出版されています。

それぞれの、オニのイメージに近いものを選べるといいかもですね。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 


 

 

 

 


 

 

 

 

 

他にも、

 

 

「おにはそと」とか

 

 

 

 

「あかたろうの1・2・3の3・4・5」などは

 

 

 

 

幼児向けにいいでしょうし、

 

 

「オニじゃないよ おにぎりだよ」とか

 

 

 

 

 

 

「オニのサラリーマン」は

 

 

 

 

 

 

小学生の読み聞かせなどにも良いと思います。

 

 

 

 

こうしてみると、
オニって、怖いだけじゃないし、

 

いつもいつも「オニは外でしょ!」って言っちゃっていいのか?

とか思わせられる感じもしますよね。

 

少し切ない、人間じゃないけど、人間の気持ちの揺れ動きを表現してくれる。

それがオニなのかもしれないです。

 

それでは絵本とともに、

節分はオニミチでぜひ遊んでみてくださーい。

 

 

 

 

 


トースター購入で考えたこと

最近、トースターを購入しました。




電子レンジを買う予定は無いので、
トースターは結構大事なアイテムとなります。
2段式なのに小さくて優れもの。

で、そういう地味な「生活」の小さな喜びを共有する相手って、
あんまりいないので、母にメールを送ったら、

「私も欲しい」

と言うので、購入しました。

某楽天で。

それにしても、現物を見て買いたい派だった私も、
あっという間にここ1年ほどで
家電までネットで買った上に、
母にも送ってしまうなんてね…笑

届いたものを、
「コンパクトで最高!」と喜んでくれたので、
良かった良かった。


話は少し変わりますが、私は
「どういう生活してるのか見えない」
とよく言われます。

あと、なんでか分からないけれど、
「いつ寝てるかも分からない」
とも言われます。

なんでかな。笑


実は、ここ1年弱で、
震災後から「ちぐはぐになっていた生活」を、
整えつつあるなぁと思っています。

例えば一度、自宅が「ただ寝るだけの部屋」になってしまうと、
それを立て直すのは意外に難しいし、

例えば一度、コンビニでお弁当的なものを買うことに慣れてしまうと、
そこから抜け出すのが難しい。

そういう日々が4.5年続いていた感覚でした。

「嫌だなぁ。情けないなぁ。」
と思いながら、
「でも、仕事で移動も多いし、独り身だしな。
何より、やれば出来る子だし!」
とかそんな言い訳しながら、
抜け出すきっかけを見つけられずにいたのでした。


でもある日。

自宅でひとり、コンビニで買ったチキンサラダを食べてる時に、

(これはあかん!!!)

と、ギャビーーーン!と稲妻のようなものに心が打たれて、
「生活」を立て直すことにしました。

自分では気づいてなかったけど、
多分、限界だったんだと思います。

ここまで長い期間立て直せなかった理由は沢山あると思うけれど、
一番の理由は、
「ひとり暮らしをしてたから」
だと思います。

誰かと暮らしていたら、
誰かとペースを合わせたりしなきゃいけない場面もあるし、
気も使うから、立て直すチャンスがあると思うんです。

もちろん、ひとり暮らしは気ままで楽ちんです。

子育て中の友人達が、「ひとりの時間が欲しい」というのを聞くと、
勝手に申し訳ない気持ちになったりもします。

でも、私にとっては、
「自分の為だけに、きちんとした生活する」
ということがあまり重要なことのように思えなかったんですよね。


だから、「生活が見えない」と言われていたのかもしれないな。

今は、楽しく自炊して、
湯船にも長くつかっちゃったりして、
掃除もこまめにして、
という「適当な」家事をして、
自分を整える生活をしていると思います。

こうして当たり前なことができてくると、
「朝から晩まで仕事してないと罪悪感」
みたいなことからも解放されたり。笑

私は仕事と遊びを分けて考えたりはできないので、
「自分を整えること」が意外に大事だったんだな。
という話でした。


あまりに当然過ぎる話で、
あんまり多くの人に共感してもらえる話じゃないだろうけど、
まぁ、それでもいいさ。

私にとっては大事なことなので、いい振り返りができた。笑


ブログとリフレクション

今日もブログを書こう、

と思って書き始めたら、

どうも変に説教くさい文章になり、

さっさと下書き保存(多分お蔵入り)した中川です。


どうも、書き始めると、

伝えたいこと!とか、

ちょっと腹立てたこと!とか、

そんなことになっちゃうのよねぇ。

そういうことを書きたいわけじゃないのに。


今のところ実験的にですが、私がブログを毎日書いてみよう、

と思っているのは、

「リフレクション」を日々公開することの意義と

リフレクションする人の思考

について考察したい気持ちがあるからです。


弊社では、

教員のみなさまに向けて、

日々のリフレクションをサポートするためのシステムをご提供しておりますが


( echo といいます。無料でも使えますよー )


これは、日々の「濃い」振り返りをするためのものだと考えています。


つまり、誰か特定な人には共有して意見をもらったりしたいけど、

子どもの個人名とかも記録としてきちんと残しておきたいから、

セキュリティが安全な場所でがっつり振り返りたい。


という方々向けのものです。




先生方でも、個人ブログをお持ちの方も多くて、

実践のことや、職員室での出来事なども

個人情報がわからないように書いている方は多くいらっしゃいますよね。


それはそれで、多くの方々に読んでもらえることで、

いろんな意見をもらえると思うし、

読んでいる人にとっても有益な情報が得られたりするので

とても良いツールだとは思うのですが、

どうしても、「正直に」書けなかったり、

自分をカッコよく見せてしまったり、

不特定多数に読まれることを意識して書くようになるから、

自分自身で自分の成長を促す「リフレクション」としては、あまり機能しないのではないか。


というのが私の考えです。


なので、ブログでこうして日々感じたことを書くことと、

echoのような閉鎖された安全な空間で書くことの違いを、

自分自身でも体感しようじゃないか。


というのが目的としてあります。


で、冒頭に戻る。


今日は、あまりに不特定多数を意識して、

本当はぶちまけたいことがブログには書けなかった。笑

でも、やっぱり公開しなくていいや、って思う。


この違いや、線引きについても、

じっくり考えていこうと思います。





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